今朝の落書き

オーナー小山が日々書く詩やエッセイ
考え事、悩み事の言葉たち

即興エッセイ王

一体誰がこんな大層な通り名を思いついたんだろうか。

ディレクターのあの人だろうか、ADのあの方だろうか。はたまたPと呼ばれる人だろうか。 いずれにせよあの番組の最後の方で足早に流れていった名前たちのどれかであることは明らかだ。

つい最近まで、「即興エッセイ」ですら聞いたこともない言葉だったのに(今、日本で一番この言葉を使っているのはおそらく僕だろう)、それにあっという間に「王」がついてしまった。

ただ、即興エッセイという言葉自体と出会ったのは最近ではあるものの、その行為自体は僕にとっては至って当たり前に、それこそ何なら思えばもう10年以上も前から、頭の中で自分のノートで毎日のようになされていた行為だった。

そう、即興エッセイという言葉がそこには無かっただけで、名も無きその行為自体はもう長い間、僕の生活の中に確かにあったのだった。

なるほどなぁ。
だから僕は僕のエッセイを、Twitterに呟くでもなく、ブログサービスを使って綴るでもなく、こうして自分で、「即興エッセイによって生まれた言葉たちのための場所」をつくって書くに至ったんだ。今ようやく、そのことに気が付いた自分。僕。

Twitterはツイートをするための場所であり、ブログサービスはブログを書くために作られた場所なわけで、そりゃあもちろん同じ言葉で表現なんだから大体同じじゃないかと思えて書けて、過不足なくそれで本人が満足ならばそれで良し。

けれども僕には、そうだな例えるならそれは、同じ絵を描くのならキャンバスにでも壁にでもどっちでも同じだろうと言われているような気がしてしまった。

恐縮すぎるけれどもう少し分かりやすく伝えるために書くと、バンクシーというアーティストが白いキャンバスではなく、表現したいものに合わせてどこぞの壁に絵を描くように、僕の大好きなMiletというミュージシャンがライブではなるべく楽器を持たずにマイクだけ持ちバックバンドと共に歌うように、自分の言葉が表現が心地よく響き、自分自身が本当に過不足なく満足できる場所を形を、僕も探していたのかもしれない。

ここはずっと、「今朝の落書き」とはずっと、即興エッセイから生まれる言葉のための広場だったわけだ。

ということはTwitterで催す即興エッセイは、例えて言うなら、この「今朝の落書き」という広場から少し離れた場所に僕が時たま訪れ催す路上ライブのようなものとも、言えるかもしれない。

ここで僕は毎日一曲、フルバージョンを演奏し、時々遠くの「ツイッター通り」の道端で、曲の1番だけを何曲か奏でて帰る、みたいな。

さて、気付けば結構「即興エッセイ」についてだけで書いてしまいました。その後ろに何故だか付いた「王」についてはまた今度、書かせて頂ければ幸い至極にございます。

そういうわけで本日も、落書きを読んで下さりありがとうございます。はじめましての方もいるかもしれませんのでお伝えしとくと、ちょっと長いなとか思われた方もご安心を。毎日僕が書くエッセイから、主に店長が一文を選び作ってくれる一枚の美しい画像が各種SNSにてアップされますので、そちらで僕の日々のエッセイをもっと気軽に、お楽しみ頂けます。

そりぁもちろん、全文読んでくださる方も、大歓迎です。別に毎日じゃなくたって、たまに読みに来てくれるだけでも、書き手は嬉しいものですよ。

最後まで読んで下さった方に、今日も明日も幸多からんことを。ではまた明日、もしくはいつか、お会いできたら。

p.s.
僕は明日もここで、カクカルゴ。

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