母の日感謝編 第二篇

尊いご飯

さっきまで書いていて、「よーし書き終わったぞ〜」と思っていたものが、次の瞬間消えてしまって、ズーンとなって、とりあえずご飯を食べて、今こうして書き直しています。

美味しいご飯で、今日も僕は生きているのだと思う今日この頃です。

「尊いご飯」という言葉を、友達と二人でお喋りしている時に思いついて、しばらくの間ご飯を食べるたびに「尊い…」と思っていたのを思い出します。

1日3食として、365日で1095食。
80歳まで生きるとしても、合計87600回。

永遠でもなんでもなくて、8万7千食という限られた回数の食事、食卓。

そう思うと、一回一回が、もしくは大好きな誰かと食べる夕飯や、
家族で食べる温かいご飯が、とても尊いものに感じられるよねという話をして、「尊いご飯」という言葉にたどり着いた僕ら。

そのうちの一回が、例えば落ち込んだ心をグッとあげたり、誰かとの関係を暖かく結んでくれたり、幸せな時間をより幸せにしてくれたり。

当たり前で忘れがちだけれど、
僕らは今日もご飯を食べて生きているんだよなぁ。

息を吸って吐いてを繰り返すだけでも、
仕事をどんなにこなしても、それだけじゃあ生きられなくて、
ご飯を食べる。

なるべく温かく、
なるべく美味しく、
そして僕なんかはなるべく誰かと笑顔で、
食べたいなぁと、いつも思っています。

本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。
消してしまった落書きよりも遥かに明るく、幸せな言葉たちで包まれた落書きになり、やはり美味しいご飯の力は偉大だなぁと、思いました。尊いご飯。