2020年9月27日『今朝の落書き』
答えは言葉よりも景色の中に。
例えば、半年でも半生でも一生分でもいいから、 自分の人生を本にするとして、 小説にでもして出版するとして、 どんな物語がいいかなぁって考えてみて。 タイトルは自分の名前。
僕の本には、 お給料の話や出世の話、 どんな車に乗っていて、 どんな大きな仕事に関わっているのかとか、 そういう話よりもむしろ、今日は何処へ散歩へ行ったとか、 どんな美味しいパフェを食べたとか、 コーヒーを飲みながら「愛ってなんだろうね」なんて言って難しい顔して話したんだとか、 昨日は落ち込んでて一言も話せなかったとか、 他愛もない言い間違いを揚げ足取って笑い合ったんだとか、 そういう、日々の小さくも儚くも尊い物語が 余白が許す限り、長く長く永遠と詰まっていて欲しい。
その日常の物語から、
愛やら生やら死やら幸せやらの真理を云々説いたりしながら。
“愛についての問いの答えはきっと、
コーヒーを飲んでブラウニーを食べて笑い合った時の口の中に溶けていて
人生についての問いの答えはきっと、
いつもの道端で空を見上げて吸い込んだ澄んだ空気の中に混ざっている。”
楽しいことも嬉しいことも、 辛かったことも苦しかったことも、 全部全部、大げさな言葉を使わず、 ただひたすらに等身大な、 そして出来うる限りの暖かい言葉で書き尽くしたい。
例えば25年分を書き尽くすには、 一体何ページ必要なんだろう。
60年分は?100年分はどんなだろう?
自分の本だけど、 きっと自分一人じゃ書き切れない。
一緒にいると無敵な気がする、 そんな人と書けたなら、 あぁどんなにか幸せだろう。
本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。
これ、実は25歳になった時の僕が書き残していた文章の一部なんです。誤解を恐れず申し上げれば、「我ながら惚れ惚れするほど自由に書いたなぁ」と、思いました。特に途中でいきなり出てくる詩のような引用は、なんだかとってもグッときてしまいました。
僕をあなたを日々悩ませる難しい問いの答えも実は、言葉よりも遥かに、目の前に広がる景色の中に溶けているのかもしれない。
そう改めて思った、僕であります。