万物役割分担論
すべては役割分担なのだとしたら。
何かを教える人も、教わる人も。教える役割と、教わる役割があって初めて意味が生まれる。教える人だけで、教わる人がいなかったら、そりゃもう教えるとは言わないわけですもんね。
お店を営むのだってそう。お店を開く役割の人と、お店に訪れる役割の人の、役割分担。その仕事をしたい人と、その仕事を受けたい人の、役割分担。片方だけだと、お店がなくなったゃったり、そもそも生まれなかったり。
営みの中でもやっぱり、役割分担。接客をする人、される人。注文されたものをつくる人、提供してもらう人。お金をもらう人、払う人。どちらかだけだと成り立たない。そりゃそうですよね。
一つひとつの役割に、一人ひとりが携わっているのが社会であり暮らしであり。
何かを与える人が存在しうるのは、その何かを受け取る人がいるからこそで。何かを教える人がいるのは、その何かを教わる人がいるからで。どちらが上でも下でも本来はなく、役割分担なのだと思えたら。
その上で、自分の役割について、より良く、より善く、しようとしている人がいる。こうしたらもっと良いかもしれない。こうしたらもっと相手は喜んでくれるかもしれない。昨日より今日、今日より明日。そうやってあーでもないこーでもないって、自分の役割を改善していく人は、本当にすごい人だなぁと思うのです。
誰に言われるでもなく、そういうことを続けている人にこそ、僕は何かを教わりたいし、教えたいし、仕事をもらったりあげたりしたいし、そんな人のつくるコーヒーはどんなに美味しいんだろうかとか期待しちゃいたい。
自分の今ここにおける役割について、明日へ向けて悔しがれる人。その人によって、明日も少しよくなっていくのが社会なのだと思うと、浮かぶ顔があることの幸せたるや、感無量です。
本日も読んでくださりありがとうございます。与える人がいるから受け取れるんだとか、どっちのがああだこうだって、それを話して何かが明日よくなる気分に、ならないんですよね。一人ひとりの役割があり、全うしてはじめて、成り立って、より良いほうへ向かっていけるのが、社会であり、会社であり、街であり、店であり、生活であるという真実一つ。それだけ抱えて真剣に生きていくだけで本来、とっても大変なことなはずなんですよね。


