今朝の落書き

オーナー小山が日々書く詩やエッセイ
考え事、悩み事の言葉たち

「またね」02222024edit.

今日、去っていく人がいるように、今日、新しく出会う人もいる。
「出会い」と「別れ」、なんて言葉にすれば、
両方ともひらがなでたったの三文字。
けれどもそんな三文字で言い表せない人間模様が、
そこにはしっかりはっきりあることを、多くの人が知っている。

たとえば、去っていく大切な誰かがいたら、
「寂しい」という言葉だけでは到底表現しきれない感覚に襲われることを、
多くの人が身をもって知っている。

涙を流す人もいるだろうし、
茫然と立ち尽くす人もいるだろう。
「あー寂しいー」とか「うー寂しいー」とか、
延々と言っている人もいるだろう。僕らだろう。

三月は別れの季節というけれど、
四月が出会いの季節だということを考えると、
三月はその出会いへ向けての準備をしているとも思える。

だから別れは、新しい出会いの始まり、とか、
何かの終わりは何かの始まり、とか言うわけだけど、
まぁそりゃそうか、そりゃそうだ、と思う。

ただ、そんな次のことより何よりも、まずは今、
終わりの今を、去りゆく今を、ちゃんと味わい、
見送ることも、あっという間で切なく、それでいて豊かな、
人生の醍醐味なんじゃなかろうか。

去りゆく今、たとえば別れるとか、
終わりとか、たとえほんとにその時が訪れたとしても、
大好きな人に、大切な人へ贈る言葉は、
「またね」が良いなと思っています。

「またね」には期待と、好意と、寂しさと、悲しさと、そして願いが、
一緒になって含まれているような気がして、
「出会い」と「別れ」と同じひらがな三文字ですが、
こちらはなんとも複雑な、その時の気持ちを見事に表している三文字だなぁと、
今日も今日とてそう感じずにはいられない僕らです。

本日も読んでくださり、本日も、ここに居てくださり、ありがとうございます。
自由丁がこうしてあるのは、こうしてここに居てくれた、読んでくれたあなたのおかげ。
寂しいと思えるのは、それだけ楽しかった、嬉しかったをもらった証。
そんな去りゆくあなたへ、本当に、ありがとう。
次の旅路も、どうか良きものになりますように。それじゃ、
またね!

補足:この文章は、2020年3月に小山が書いた一篇「またね」(現在は非公開になっており閲覧不可。当時の「自由丁今朝の落書き」はなんと、書いた二日後には誰も読めない仕様になっていたのです)を元に、2024年2月22日で勤務を(一旦、一旦ね)終え、新しい場所へと旅立つ大切なスタッフへ向けて書かれたものです。

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