朝の余韻
「読書は旅する幸福に似ている。」
僕の部屋の壁には、一面に気に入ったアーティストの絵やポスター、海外で訪れたカフェのショップカードや買ったコーヒー豆の袋、泊まったホテルのポストカードとか、他にも色んな思い出たち、アートたちが互いの距離感を少しだけ気にして、余白を保ち並んでいる。
その中のひとつ、もう随分前に、駅から少し歩いて路地裏の、更に奥の方へと歩いていって見つけたカフェでもらったショップカードに書かれたその言葉に、今朝着替えをしている最中に目が止まった。
「読書か」と思わず小さく呟いた。
なんだかそれが、なかなか寝付けなかった僕の探していた答えのような気がして。
毎日文章を書いて、いろんな人のいろんな言葉が生まれる場所で仕事をしていて、時には小説も書き、人の小説を添削したりまでする生活を送っているというのに、僕はしょっちゅう言葉を失う。
明快な解決策が求められている問題や場面なら、頭を使って考えて、そのままそれを言葉にすればいいから、その道筋、論理の道を見失うことはあっても、使う言葉自体を見つけられない事は滅多にない。
けれど日々の生活の中には、はっきりとした答えを求められているわけじゃない、けれど大切な言葉のやりとり、聞くという事、話すという事、言葉を伝えるという、心地よく美しい連なりが求められる時がある。多々ある。
求められているというか、僕も、僕の隣に座る誰かも、互いにそれを求めている、というか。
別にそれが苦手なわけでも、嫌いなわけでもなく、
むしろそういう心地よさを僕だって求めているし、誰かと何か言葉にならないけれど同じことを求め合えるって、とても素晴らしいことだと思う。
ただそういう時間ほど、言葉は少なくなっていくなと思う。
少ない、というか、言葉にするのがもったいないというか、
言葉以上の時間がそこにあるとも言えるかもしれない。
当てはまる言葉がほとんどない、けれど無言でいたら勿体無い。そんな時間。
そういう時間を過ごした後の一人の時間には、大抵決まって余韻が訪れる。
そしてなんとなく、話したこと考えたことを思い返しながら、また日常が続いていく。
やがてふと、その時に欲しかったな伝えたかったなと思う言葉が、降り出す少し前の雨粒みたいに、珈琲を淹れ始めた時に滴る水滴のように、落ちてくる。
今朝、僕が呟いたのも、そういう小さな水のような言葉だったのかもしれない。
それを大切に胸ポケットかどこかにしまっておいて、
忘れないうちに渡せたらいいなと思う。
本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。小説のように、なるべく地に足つけて、日常の中にあるような言葉たちをと思って書き始めたはいいけれど、気づいた時にはもう夢中になって、なるべくただただ綺麗に書いておきたいな、残しておきたいなと思って書いていました。
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