大人の事情と美しいもの
なんでそこに置いたんだろうと、ある広告を見て思った。
今までもそこには色んな広告が張り出されていて、毎年同じブランドの新しい広告をそこで僕はよく見ているはずなのに、今年のものについてだけ、注意深く見ようと思って見たわけでもないのに違和感を覚えた。
表現と場所、言葉と場所が、繋がっていない。
もっと言えば、言葉を考える人は言葉のことを、写真を取る人は写真のことを考えて、置かれ方や張り出され方をそんなにイメージしなかったのかな、とか。色んな事を勝手に考えてみたものの、もちろん僕の中に答えなんてなく、ただ気になるだけ気になって、考え続けてしまっている。
広告にとって場所というのは、作った表現の「届け方」でもあるんじゃないだろうか。
このサイズで、この質感で、こうやって張り出されます、表示されます、置かれます、というのはもちろん作る上ではとても大事なことだけれど、その上で出来上がったものがどういう場所に置かれて、どういう風に人々が見るのか、作る側も想像しないわけはないだろうに。
そう考えると、なんだか大人の事情でああなってしまったのかなとか、少し悲しい気持ちになってきた。
言葉には人を励ましたり、勇気をくれたりする力があるのだと信じたいけれど、実際にそういうことが起こるには、言葉だけではおそらくとても難しいと僕は思う。
言葉がどういうフォントで大きさで、行間文字間で、色合いで、どんな写真と共に、どんな素材の上にプリントされたり表示されて、それが通路であれ画面上であれ何処にどんな風に表示されて、どうやって、いつ人に届くのか。
そのすべてが美しく、もちろん偶然も相まって届くべき人に届いて初めて、勇気や元気、気付きや学び、刺激や安らぎ、笑顔や癒やしが生まれる。
そう思うとそりゃあもうとんでもなく難しく、大変なことだし、一筋縄ではいかない事がほとんどで、その結果として、素晴らしい言葉だけど響かなかったり、最高に素敵な写真だけれど心は動かなかったり、そういうことがきっと沢山、本当に沢山、昨日も今日も明日もあるんだろう。
だからこそなるべく、なるべく丁寧に、届くように役立つように、素晴らしい言葉が素晴らしいまま、素敵な写真が素敵なまま、美しいものが人がことが美しいまま、伝わるにはどうしたらいいかと考えて考えて考えて、目の前の仕事に作業に没頭したいな。
そう改めて思った次第です。
そうやって作ったもの作られたものを、大人の事情というやつが少しでも濁そうとするのなら、そんな大人とは、この二度目があるかなんてわからない短い人生で関わっている暇はないぞ、もしも自分の関わる美しい人物事が濁されてしまいそうな時には、「まぁ仕方ないか」と受け入れる余裕なんてないぞと、僕の心の中の少年が叫んでいます。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。できるところから、自分ができる範囲から、最初はできなくたって構わないから、なるべく丁寧に、世界は今日も美しいのだと、証明できたらと思っています。
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