「時は金なり」なわけがあるかい
「時間をお金に変える」という言葉をよく聞くし、使ったこともよくあるけれど、よくよく考えてみるとなんだか変だ。時間はお金に変わってない。
時間は制御不能なままずっと流れていて、僕らにはそれを何かに変える機能は備わってない。いやもちろんそりゃあ間接的には時間を費やしたらお金を誰かから受け取るという給与の仕組みはわかる。けれどそれって別に、時間の代わりにお金をもらったのとはなんだか違うんじゃないか。
例えば80年という寿命があったとして、「じゃあその1年分と600万円を交換します」とかいったら寿命が79年になる、みたいなことは現実の世界では起こらない。実際に一年間どこかの会社で働いた結果として600万円の収入になってました、とか、1時間働いたら1000円もらいました、とか、そういうことはあるけれど、それって時間(と体力気力)の結果生み出されているのは600万でも1000円でもなく、デザインだったりシステムだったり契約だったりお客さんの満足だったり牛丼だったりするわけで、それを鑑みて誰かがあなたに「600万ね」「1000円ね」とかいって渡すわけだ。
だから僕らは、時間をお金に変えているというよりは、時間を費やした結果としてもっと具体的で手触りのある何かを生み出しているんだと、正確には言えるしなんならそっちの方が僕は言いたい。
「時間をお金に変える」という言葉の問題点をあげるとすれば、紙幣を刷る印刷機にこそ適切な言葉であるそれを、直接お金を物理的に生み出す機械ではない人間という動物、有機体に使うことで、意志も人生も十人十色の存在を無機質で同質なものとして捉えさせてしまうことだろう。
「時は金なり」と邪界に流布した存在は、その意識を人々に刷り込み、効率性を追求させた機械のような存在として扱いたかったのかもしれないし、よくよく考えると「人材」という言葉も、機械の材料=機材としての響きがして、なんだか少し嫌な感じがしてくる。
本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。時間は時間。寿命であり人生であり、一年間をお金に変えて次の一年間でそのお金を使って好きなことをするんだ、というのも間違ってはいないのかもしれないけれど、それは限られた数十年の使い方としてはあまりにも勿体なくないか?と今の僕は思う。
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