今朝の落書き
オーナー小山が日々書く詩やエッセイ
考え事、悩み事の言葉たち
人生薔薇色諸説
「あなたにとって、薔薇色の人生とは?」という質問を頂いたので、少し考えていた。
僕は最初、なんとなく、
「自分らしさに妥協せずに過ごすこと」などと思っていた。
けれども何やらしっくりこない。
何でしっくりこないかを考えていたら、「本当に僕は薔薇のことを少しは真面目に考えたのか?」ともう一人の自分的な声が頭の中で僕に言った。
薔薇は、生まれながらに「自分は薔薇だ」と知ってる。
いや、知っていないかもしれないけれど、別に自覚があろうがなかろうが、薔薇は薔薇だ。
だから薔薇は、自分らしくいよう!とか自分らしくありたい!とか思わない。
思うまでもなく、常に自分らしく、自分らしいのだ。そう、薔薇は常に薔薇なのだ。
そりゃあじゃあ、「自分らしさに妥協しない」とか、薔薇にはそもそも妥協なんてないのだから、僕はどうやらおかしなことを言っているぞと気がついた。
ふと、
薔薇が枯れて、落ちるときのことを想像した。
そのとき僕は、きっとこの薔薇をくれた人のことを思い出し、連絡をするかもしれないなと思った。
自分で買ってきた薔薇であったなら、買った日のことを思い出して、「もう七日も経つのかぁ」とか思ったりして、暫しその日々の思い出に浸るだろうなと想像できた。
「そうか」と思った。
「薔薇、そして美しい薔薇の色は、全盛期はもちろんのこと、
朽ちた時でさえ、見る人に余韻をくれるものなんだ。」と気がついた。
そうしてようやく、僕は先の質問への、
納得のいく答えをひとつ、言葉にできた。
"私にとって薔薇色の人生とは、
誰かの余韻になれること。"
生きている時はもちろん、たとえいつか死んだとしても、誰かにとって僕の人生が、薔薇を眺めるときに感じる余韻のように、思い出し、浸り、微笑む時間を与えるものであったら良いな。
そんなことをまぁ、僕なりに思っての、僕なりの、答えです。
薔薇が薔薇であるように、きっと僕も常に僕であり、だから自分らしくとか、自分らしさを考える必要って、本当はないのかもしれない。
それよりも、誰かにとって、余韻を与えられるような存在であれたら良いな、人生であったら良いな。
そんなことを、思ったんです。
本日も落書きを読んでいただき、ありがとうございます。
どんな人の、どんな人生も、誰かにとっては、余韻に浸れるものになるんじゃないかとも思えて、僕はこの答えを気に入りました。
つまり、みんなの人生、実は既に薔薇色説。
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