言葉がもしも完璧なら
私たちはこんなにも苦悩などしないでしょう
伝え損じることもなく
何を憂うこともなく
適した伝達を滞りなく
可もなく不可もなくただ行うでしょう
その世界がいくばくかましだとは
あまり思えないのはなぜでしょう
面白みに欠けてしまうと
言葉に苦悩し生きて尚
思えてしまうのはなぜでしょう
完璧な言葉を求めながら
その不完全さを楽しんでいるとでもいうのでしょうか
言葉が完璧に至れども
私が完璧でない限り
どうしようもないということでしょうか
ならばやはり
この生についての美しさの限りへ向かうことこそが何よりも大切だということでしょうか
ああまた
何を言っているんでしょうか
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