自分の名前で自分の意思で何かを社会に表明するということは、それ自体がある種の自問自答の方法にも思える。
自問自答というか、自己研鑽というか。
社会という他人の目を意識することで、「おまえは何をやっているんだ」と自分自身へ問いかける。
「これにはどんな意味があるのだろう?」
「果たしてこれを通じて僕は何がしたかったんだろうか?」
そういう問いかけを四六時中、社会から投げかけられているような、それに耐えるべく、乗り越えるべく、自らの中の何かを言葉にし、その言葉たちを武器に社会と自分自身の冷たい視線と戦い、そして自らの意思で景色を望むような。
そういう時に、応援の声というのは物凄い支えになるし、意識を保ち、冷静を保ち言葉を育むための暖かな余裕をくれる。
応援に支えられ、育み鍛えた言葉に思考に視点を持って、...